自分のモノサシをへし折る日々のブログ

40代子育てオサレ目指すも蛇行運転の日々衣食住の舞台裏

私にとっての「母親業」

久々の。我思う故に我あり案件ブログです
即ち今回は長め重めのヤツでふお覚悟( ´艸`ぐふふ)






職場に向かう道中に人懐っこいニャーコが
いるのでふ。相手の反応を見てるニャーコ




その日は時間に余裕があったのでスマホで
ニャーコを撮ってみたんだ( ´艸`ニャーォ)

良い母親の定義って人によって違いがある




私は「こんな母親だったら良いなぁ」って
自分がしてほしい、希望みたいな親、って
いうのがあって。


それは決して他人から見た母親像でなくて



心から溢れる希望観測みたいな像が瞬時に
出てくるもので私はその像を縁取っている





娘が古くからお世話になっている、とある
先生がいまして。その先生の事は信頼して
いるし芯があってブレずに物事に向き合う
その人が好きで。



      イロドリが母親だったら
その先生が「私が母親だったらいいのに」
と娘を羨んでいますた。それは最高の誉め
言葉だと。しかと受け取りますたョ☆








そんな先生も一時期、少ない人数での応戦
に疲れている時期があって疲労を心配する
私ですたが・・・違ったんだよ。



逆ですた。子どもにパワーを貰ってるんだ




この気持ち刺さったなぁ⚡疲れてる時って
対象物のせいにしがちじゃない?弱った時
ほどに出てくるものがあるじゃない?









実は先生のお母さんは、近所の所謂不良のお子の話を
聞いたりしてたようで。赤や茶色・緑・金色の髪の子
出入りに先生に対し髪の毛染めちゃダメっていう矛盾
があったらしいんだな。



良きも悪くも人様も自分の娘も同じ基本の
私は、先生にとって私に育てられたいって
気持ちは弱ってる部分なのかもしれない。
(;´Д`ま、そんな深い意味はないかもしれぬ)






調子の良い時だけ見るモノサシへし折った


自分の均衡を測る中でのモノサシはいらん






辛いシンドイ時の差に着目する様になった
「お母さん業求ム・急募」みたいなヤツ(笑)

厳しさの中に優しさがあるから業の純度は
高くなるって思ってるんだ、私は。





優しさ100%てのは甘すぎて面白くない


厳しさ100%てのも辛すぎて嫌だね





塩梅って難しいぃ

或る程度の比べたりその人の工夫を選んで
試す価値も有り在りですが、その人の気質
その子の気質や生活環境の違いもあるから
取り組みの失敗もセットでもれなく付いて
くる( ´艸`ソリャソウダ)



楽しそうな家族にもそんな辛酸があるから
楽しい今があるように。調子の良い時には
楽しく見えるものなのかもしれねぇなぁ。








周りに合わせたりしてたら純度も濁るし
本質が見えなくなりかねないのでは?




だからって訳じゃないけれど。





私は私の中の優しさや厳しさを見つける








ネコ可愛いぃって駆け寄る人ってのは
ネコ可愛がる私が可愛いってなっていねぇか





誰が見てなくともネコに近寄りたい触りたい
コンタクトをとろうと夢中になる人そんな人
に私は好感を持つなぁ。






逆に周りを気にせずにいるその人が気になる











親業も案外そんなものなもかもしれないね(笑)