自分のモノサシをへし折る日々のブログ

40代子育てオサレ目指すも蛇行運転の日々衣食住の舞台裏

「がんばらないノート」それに尽きる

私の時代は確か「自主ノート」と銘打ってた記憶がある
宿題銘打つ[自主学習]みたいなノリ。だった記憶である





9歳児の娘
小学3年生の明日の時間割や宿題を書き込むそのノート
の題名が「頑張りノート」なんであるよ。
心が取り扱いに関してもザワザワするネーミングだ。


いちいち学業も「頑張れ」なんだな。
冊が終れば「頑張りノート〇号」って悪魔が続く延々と



宿題も親が丸付けする時代なのは致し方ないけれども
それで終了なんだから、もはや親の宿題になってる件



ずっとモヤモヤしてたんだ。



娘は1年生から宿題は漢字の書き取り一筋の宿題専攻
してたけど、さすがに飽きるしやる気もしねぇ。
一度。どうなってんのかと担任に尋ねると驚いたコト


理科でも社会でも作文でも何でも良いって。果てには
ワークブック購入でも良いって、何だそりゃ?
一見自由があるようで一見選択制があるようですがね
9歳児にとっては自由ほど不自由な訳ですよ



AとB コレかコレ を好きなの選ぶ択一性の方がね
シンプルで分かりやすく選びやすい訳ですよ。



授業はクラス全体ですが先生が独断で進み宿題は自由
という名の放置。あげくに宿題は親の管轄みたいなね



最近。娘が「ツボにハマった事」と銘打って話を楽し
そうに私に話すのを聞いてて思いついたのですよ!



「頑張りノート」じゃなくて「頑張らないノート」を
一緒にやってみない?って。真面目な顔で娘提案の私



つまりブログ式というか平たく言えば作文なのですが
「ツボにハマる」って心が動いたとか気になったとか
日常の中の立ち止まりって大切だと思うから。それを
文に表現するのはアウトプットにもなるし文の向上や
考えの深みにも繋がるんじゃないかな?って思ったの


「作文」て捉えるのと「ブログ」て捉えるのは違う



楽しくてあっという間に終わるだろうし。少なくとも
それは頑張る事の義務感や圧迫感はないんじゃないか



ブログの経験は私には2年の実績があるわけだから。
起承転結の作文形式ではなくて人に伝える面白さを。
私だから伝えられるのでは?って気が付いたのです



最初の枠組みというか伝え方は一緒に考えていくと
して先ずは一緒に「頑張らないノート」やってみない
かと聞いてみると「やってみる👩」と娘!



その日のうちにスタートしましたよ!


前日娘と一緒にした筋トレで間違った筋トレした私
を大笑いした話を書いてたんだ。いいの、いいの。
想像を超えて。ご丁寧に絵まで書き加えられてたわ



上出来です!( ´艸`たはは)
これぞ頑張ってないのに楽しく終わった宿題なのだ




ノートの題名ぐらい好きに決めさせたら?面白そう
なのになぁ。と思いました
枠組みがあるようでないのならば。それを逆手に
こちらも楽しく済ます方法をとらせていただきます



何でもかんでも義務だから宿題だからと眠たい目で
見たりやる気のない目で見たり終わらせばいいって
やるよりも。



こちらの都合解釈で楽しく。かつ上達する方法が。
何倍もやってみる価値があると思うんだな




時代の移り変わり価値観も激しく変わる現代だから。


未だ古臭いしきたりのような小学校に合わせるのでは
なくって。古臭いセンスに付き合うのでもなくって。


死んだ宿題よりも楽しくセンスを見つけて鍛える方法
が互いに宜しい事なのではないでしょうか( ´艸`な)




これは私の或る意味挑戦状なのです。