自分のモノサシをへし折る日々のブログ

40代子育てオサレ目指すも蛇行運転の日々衣食住の舞台裏

「分からんノート」

今日は久しぶりにチョット長いブログになりそうです



残り少ない職場生活で。お客さんが私に何か聞きたい
ようなのですが、忙しい時間帯に私を引き留める割に
残念ながら何が言いたいのか分かりません。


やっと理解して、そのお客さんなら案内しましたよと
案内先を伝えました。忙しさで手が8本になる残像を
残す勢いで処理してる中。また奴が目の前にいるのだ


奴と言ってもパッと見た目30代の好青年の雰囲気だ
その彼がまたしてもまた何を質問してるのか分からん


やっと理解したわ。案内先したお客さん(青年は家族)
が案内先が分からずにうろついてるのだと。血走った
目の私が表に出て青年に案内先を説明したわ。


忙しい中すみません。と言う割には要点を得ずに時間
と労力を要したわ。




思ったんですよ。親が何でも先回りしてレールを敷いて
育ったのかなとか考えずに生きてきたのかな?とかさ。




子どもの頃から思ってた事なんですがね、苦手な教科ほど
どこが分からないの?なんて聞かれても。
もはや、どこまで理解してどこから分からないなんて区別
つかないほど分からないものなのです。



確か先生も「分からない事あったら聞いて」とかなんとか
あったけど。誰も質問何てないし。もしかしたら他の皆も
分からないトコロが分からない状態だったのではないかな



今思うと
そうやって「分からない事があったら聞いて」って投げる
人ほど、いざ分からない時に助けにならない確率が高い(笑)


優しく見せかけて放置という名のいじわるでしかないんだ




本当に優しい人ってのはつまずいた時に一緒にいてくれる
人なんじゃないかなぁ。一緒にどこが分からないか=どこ
で躓いているかを一緒に考えてくれる人なんじゃないかな。



でもね。ここでもカラクリが有って
更に。あえて。答えを出さずに一緒に問題点を考えてくれる
かが本当の優しさなんじゃないかと思うのデス。
正義も答えも人によって解き方は人其々違うのだから。


答えを出すのは自分の価値観を押し付ける可能性も高くなる






オトナになって
働くようになっても同じような会話は続くものなのですね
仕事を覚えるにしても質問力があるなし以前に。
もしかして人を育てる先輩の態度次第で質問力も比例する
のではないかなって。



親になっても似たような会話は続くものなのですね
子どもを育てるにしても子どもの性格や年齢によって変化
しますがそれ以前に。親の態度次第で子どもの質問力もね
比例するものではないかなって。




共通するのは気持ちの部分に添えられるか否か



会話にしてみても。本当の話し上手の人って聞き上手なの
かなって思うのよ。最初は聞き役だったのに気が付いたら
自分の事を話してた、しかも楽しい気持ちで。みたいなね




だから、勉強にしても仕事にしても子育てにしてもモヤっと
した時に相手に話せるかどうかで強力な質問になると思うの


分からないって気持ちはお互いに成長する切っ掛けなんだと


説明する・教える方が力が試されるのだョ♡




質問するほうも、答えるほうも
その積み重ねで質問力も鍛えられていくものじゃないかって






だからね。
9歳児の娘には裏紙で即席の「分からんノート」を作ったの
初歩的に先ずは心がモヤモヤした事とか、こうしたいと気持
ちはあるのに行動が追い付かないとか、何でもいいから先ず
は自分のうまく行かない事を書いてみて。


って伝えてみます( ´艸`これからの話です)






つまり、分からんノートってのは日記であったり手帳記載や
フローチャートや様々な表現吐露の簡素版みたいなものなの



私にとっての分からんノートは手帳とブログなんだろうなぁ





あなたの分からんノートの媒体は何でござるか👂?